「つくる」と「つかう」の考え方

あるものをつかって、足りなければつくって、【まちづくり】から【まちつかい】へ。

思考停止の「わかりません。ーーーー。」

最近職場で「わかりません。」と言われることが多々ある。私は主語を抜いたり、文脈をすっ飛ばした話し方をしてしまうため、大半の場合、原因は私の側にあるのだろう。最近は出来る限り注意をして話そうと努力している。

 

最近の経験で思考停止の「わかりません。」ほど狂気な言葉はないなと感じた。これまでプロジェクトをしたり、仕事を一緒にしてきた私の周りの人達は「わかりません。でも、○○」とか、「わかりません。それって○○ですか?」など、どうにか議論を積み上げようとする人が多かった。人に恵まれていたのだろう。

 

今日も一緒にプロジェクトを進めるメンバーに「わかりません」を連発された。その人のいう「わかりません。」は「わかりません。(あなたが教えていないのがいけないし、わからない私は何も悪くありません)」というニュアンスだった。今やっているプロジェクトは、私も未体験ゾーンであるし、正解が何かもわからない。そんな時は、人と議論したり、少ない前例を眺めながらプロジェクトの方法や及第点などを考えることはごく自然だと思っていた。でもそうでない人もいるとわかった。わかったというより、頭で理解していた現実をつきつけられた。

 

そもそも私のいる部署にはルーチンの仕事があまりなく、突発的な出来事が8割以上である。だからこそ、わからなくとも考え続けてほしい。建築の仕事はすべてがそうであるだろうし、いまの社会はほとんどがそうであると思う(そうあってほしい)。それを教えろと言われるのだから困ったものである。なによりも仕事が「自分事」になっていないことが最大の問題である。一度勇気をもって任せることをしてみたが、「こんな難しいこと理解できません」と一蹴されてしまった。さて、どうする。

 

わからなかったら聞くのは当たり前であるが、私は「わからない。でも、」と言える人と一緒に働きたいし、自分もそうでありたい。わからなくても良いから、常に考え続けていたい。「周りの人間は自分の鏡」を信じれば、やるべきことは限りなくある。

 

ここ最近落ち着きのない日々が続くが、どうやら2015年、私は試され続けるようである。逃げ出さず、良い成長に繋げたい。