「つくる」と「つかう」の考え方

あるものをつかって、足りなければつくって。まちのつかいこなし方の考え方。

もう一度「自分のまち」で暮らす

 2018年の夏頃から長らく抱えていた違和感がある。「私が地域づくりにアドバイザー(支援者)として関わることの是非」である。気をつけたいのは、あくまで「私が」であって、「地域づくりにアドバイザーが必要かどうか」といった乱暴に一般論化したいものではない。わたしの周りにはコンサル、アドバイザー、支援者、生活支援コーディネーター、地域おこし協力隊などなどいろんなタイプの「まちに関わる人」がいる。それぞれが持つノウハウや地域との関わり方も様々であるが、どこかの側面では、みな尊敬できる方々だ。

 先に述べた「私」に関する問の解が、この大型連休に見えてきた。このテキストはその整理ついでにまとめたものである。まず前提整理のために現状をまとめる。いまは、明石市の小学校区単位のまちづくりに一般財団法人明石コミュニティ創造協会のスタッフとして関わっている。2016年末に3年2ヶ月勤めた明石高専の特命助教(URA)を退職後、大半の時間を明石のまちに使ってきた。また、他にも合同会社Roofの一員として、西播磨中山間地域で空き家を主題とした地域づくりにも関わったり、小さなリノベーションのデザインをおこなってきた。つまりほとんどの時間を「自分の居住しない地域」に対して、「アドバイザー(支援者)」として関わってきた。少し具体的に言うと、地域運営組織や地域自治組織を通じたまちづくり組織の立ち上げ支援というと詳しい方にはわかるかもしれない。立場は違えど、いくつもの地域に関わると、その土地が持つ文化や歴史が地域を作っていると感じるし、議論を重ねていくと徐々に対話の内容や参加者の態度が変わっていく。ほんとうに小さな積み重ねであるが、こうした変化は支援者としての喜びにつながる。しかし、それはあくまで支援者というポジションからの関わりである。

 一方で、私の名前をたくさんの方に知っていただいたのは、兵庫県播磨町にあるコーポラスはりま西I棟という小さな団地に住みながらの実践活動であった。コーポラスはりま西I棟での実践は以下のリンクから動画をご覧いただきたい。

 このときの私は「住みながらコミュニティづくりをする人」であった。やればやるほど自分の暮らしも同じ団地に暮らす人にも変化が現れる。刺激的な毎日だった。しかし、なんの縁か視察に来られた蓑原敬先生には「あなたの活動はすばらしい。しかしこれで食えていけてるのか?」と投げかけられた。答えは「No」である。あくまで高専で働きながらプライベートな活動としてコミュニティづくりをしていた。ただこの頃の暮らしは、まちに暮らしている感覚があった。

 今はコーポラスはりま西I棟を引き払い、播磨町内の別の場所に暮らしている。しかしながら私の時間の大半は播磨町以外のまちに使っている。播磨町というまちはとても妙なまちでおもしろく、もう少し長く住むかな?と思い、10年償却できる規模感で我が家を探し始めた。すると驚くことにまちのことがまるでわからなくなっていた。コーポラスにいたときには当たり前に知っていた情報や感覚が無くなっていたのである。これはショックであった。自分の居住していない土地に大半の時間を使うと、自分の暮らしている土地のことがわからなくなった。そして思い返せば「まちに暮らしている感覚」が無くなっていた。それで良いのか。これがさらなる大きな問の一つであった。そんな折に、ある記事と出会った。

いつか会うだろうと思いつついまだお会いできていない杉本さんのインタビュー記事である。その中で彼女はこう答えている。

 まさにこのとおりであった。私の思う「まちに暮らしている感覚」は杉本さんによって「自分のまちであるかどうか」に言い換えられた。
と考えると、今の私には「自分のまち」がない。「自分の居住しない地域」に対して、「アドバイザー(支援者)」として多くの時間を使うと、数年前に実感できた自分のまちが無くなってしまったのだ。私はこれを悲壮な感情で捉えている。

 改めて冒頭の問、「私が地域づくりにアドバイザー(支援者)として関わることの是非」について考えてみると、私は自分のまちと思える地域に関わっていたいと素直に思った。つまり、私はアドバイザー(支援者)として外から関わるのではなく、自身の暮らしも含めて中に入り込みたいのだ。そのためには今の感覚での地域との関わり方では到底無理なのだった。

 そういえば、コーポラスはりま西I棟の活動にいち早く注目してくれて、初めて講演の場を作ってくださったのは人まち住まい研究所の浅見さんでした。確か2016年7月。その時のディスカッションで、「佐伯さんのような活動を拡げていくにはどうすれば良いか」という議論があった。その中で浅見さんから「仕事として取り組むかそうでないかによって違っていて、自分も暮らしながらやるというのでは生計が立たない」という話があった。ここ1年ぐらい結果的に仕事の領域が近くなってきて、なんやかんやとお世話になっているわけですが、今思えば、この浅見さんの発言に多くの示唆と答えがあったような気がしました。

 そんなことを思いながら、信頼のおける仲間やまちを見ると、おもしろいまち、元気なまちには必ずそこを仕掛けている誰かがいる。「〇〇市といえば■■くん」と言った具合である(「トイエバの人」とでも名付けよう)。彼らはそれぞれの地域を「自分のまち」にして、そのまちに必要な出来事をたくさんの人とともに起こしている。これは特定のまちに限ったことではなくて、昨今の地方創生やまちづくりブームによってどんなまちにでも少しは目立つ誰かがいる。そして彼らは住みながらでも何かしらの事業を回しながら、自分のまちで仕事をつくり、暮らしをつくっている。
これからはたくさんのまちや地域にアドバイザー(支援者)として関わるのではなく、特定の「自分のまち」を持つことが私に必要だとわかった。つまり播磨町のトイエバの人になっていくのだろう。