「つくる」と「つかう」の考え方

あるものをつかって、足りなければつくって。まちのつかいこなし方の考え方。

「情報の量は移動距離に比例し、情報の質は体験に比例する」

 
例えば新しいコトを始めるとき・すすめるとき、まずどうするか。自分のやり方を考えてみた。
 
  1. そのことに対する自分の知っていることや想いを、何となく考える
  2. ざくっとネットと本で情報あつめ
  3. なんとなく傾向・現状を知る
  4. これは注目せなあかんなーのリスト化
  5. どこからかつながらないか、知り合いを当たる
  6. 注目リストに行ってみる
  7. そこでの出来事を経験してみる
  8. どこが使えるか考える
  9. どう実行できるか考える
 
だから、八戸高専がクォーター制を導入して、新しい教育を始めたと聞きつければ行ってみる。呉高専がワクワクする授業を始めたと聞けば行ってみる。京都大学がデザインセンターをつくったと聞けばヒアリングに行ってみる。ラーニングコモンズがあると聞けば、近くの大学をシラミ潰しに見て回る。そうして、自分の価値観と世の中の出来事を照らし合わせていく。そして、いまの学校と比較する。
 

情報の質と量とあなたの実感

「情報の量は移動距離に比例し、情報の質は体験に比例する」
せんだい・みやぎNPOセンター 加藤哲夫氏
今の仕事をはじめてすぐの頃に教えてもらった。それ以来、肝に命じている。
 
打ち合わせでも会議でも、立ち話でもなんでも、私が知りたいのはあなたの実感や経験であって、webや本の情報ではない。インターネットに載ってない情報なんて、いくらでもある。
部屋に閉じこもって、webからの情報だけで資料をつくっては、あーだこーだ言う人達とは仕事をしたくない。そもそも、そんな人達が言う「危機」は大したことではない。
「社会を捉える」や「世の中にコミットする」はさほど難しいことでは無いと思っている。あなたがどう動き、何を知り、何を感じたか。たったそれだけだ。
 

世間は学校をどう想うのか

先日の勉強会で「学校の先生は世間知らずだ」とはっきりいう人がいた。まったく同感である。これを聞いて学校の先生はどう思うだろうか。毎朝、新聞もよんでるし、ニュースも見てる!政治のことだって詳しくわかってる。学生のことだって私が一番わかってる。それでいいのだろうか。
 
学校という閉じたセカイのぬるま湯は、世界の温度が上がっていくのを知らず、冷たい水になっていく。ふと、外から学校を見た時、そこは冷ややかな場になっていはいないだろうか。どうすれば学校を温かい場所にできるだろうか。
 
学生時代に読んだ「脱学校の社会 / イヴァン・イリッチ」をもう一度読んでみる。

 

脱学校の社会 (現代社会科学叢書)

脱学校の社会 (現代社会科学叢書)

 

 

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