「つくる」と「つかう」の考え方

あるものをつかって、足りなければつくって。まちのつかいこなし方の考え方。

「特任」が付く人々

明石高専URAとして3年度目が始まりました。今はといえば、昨年度の報告関係に追われているわけです。実施内容の報告も書けば、予算の報告もまとめてと、なんでも屋な訳です。よく言えば企業内起業をしているようなものです。一人でできるわけもなく、ノウハウのある方々に迷惑をかけながら、なんとかやって行けている状況です。

気づけば明石高専も4人のURAを抱えています。全員「特任助教」として雇用されています。URAなんて、雇用規則に定義されていないから、そうするしかないんです。

最近、どこの大学にも「特任」とか「特命」と付く人が増えています。福井大学の人も「特命」がついてましたね。

これって名前だけ見ると偉そうなんですが、内容は全く逆。「特任=期限付き」ということで、テニュアですらない。ここ最近の大学経営はとても厳しくて、プロパーを一人増やすのがどれだけ大変か。そんな時「特任」なんて体の良い言葉が付けられています。特任助教とかならまだ良いものの、「特任助教のURA」ってなかなか大変で、採用のされ方によっては研究に手を出したらしたらダメなんですね。大学に博士を取りにいきたくても、人事的に難しいようで、教育・研究機関でのキャリアアップは希望が持てないわけです。所詮URAってのはちょっと毛色の違う事務職員でしかないわけです。

 

学校のためには、この立ち位置の人がいるべきってのは理解できるけど、じゃあ自分の人生どうするかとなると、また別な話になるわけです。じゃあどうするの?って感じで、悩んでいると、期限が迫ってくるわけで、おまけに自分が誇れる実績みたいなものは、ほとんどない状態。だから「特任」が付く人って、自分のキャリアをどうデザインするか、常に悩まないといけないんです。とても贅沢な悩みかもしれませんが。

 

最近は、どうやっても抜けない「大きくて重いかぶ」のような人と組織に手を焼いていて、日々モチベーションを下げられ続けています。プロパーの人はどちらのかぶも気づかないふりをして、自分の周りの学生と向きあえば良いんですが、私の場合、周りに学生もいないし、戻るところがないので、避けて通れず、どうにかしないといけないのです。

仕事をする一つのモチベーションに「高専にプロパーのURAを置く」というのがあったんですが、最近はそれも諦め気味。

さてこれから1年どうするか。