「つくる」と「つかう」の考え方

あるものをつかって、足りなければつくって。まちのつかいこなし方の考え方。

不在のリーダーと小さなつまずき。

公務員は不正を防ぐため?ジェネラリストになるため?2〜3年で部署を転々とする。俗にいう配置換え、異動である。しかもそれが明らかになるのは、異動日の1週間程前だとか。特に組織をまとめる役職に就く人は、その配置換えが多い程、昇級できる不思議なシステムだ。高専の事務組織も例のごとくそのシステムである。

12月に入って突然、雰囲気が変わった。トップは面倒な事を避け始め、配置換えがあるだろうと予想している人の動きも鈍くなっているように感じる。全体を通してどこか芯がなく、組織全体に霧がかかったように視界が悪い。

いま学校は試されている。そんな時に、配置換えや異動によって何かモチベーションが保てなくなっている気がする。全体のリーダー、各部局のリーダー、などがモチベーションが保てなくなったとしても、組織として良い状態をキープできればと思う。

私はと言えばURAとして何も変わらない日々を過ごしている。URAは配置換えもなければ昇級もない。雇用があるかないか、1か0の世界である。雇用が続く限りは、同じ給与をもらい続けられる。「URAのキャリアマップ」は一体何なのか?考える日々が続いている。残念だが高専にはURAを評価する仕組みはない。至極極端に言えば、自己の満足のために動いているようなものである。多分URAとしてキャリアアップするには他の機関に移るしかないのだろう。

最近は何をやるにも上手くいかない。正直、「URAの動きは面倒だ」と思われているのかも?と被害妄想的な部分も多い。学校を冷静に見ると、やらないといけない事は山ほどある。なのに、たくさんの小さなつまずきがあって、なかなか前に進めない。誰が何を嫌がっているのか、その原因がわからない。つまりコミュニケーションが足りないんだと思う。

いまもどうでもいいような私絡みの案件で大人たちがあーだーこーだ言っている。こんなしょうもない事に多くの大人を巻き込んでしまった申し訳なさと、なぜこんな簡単な事を悩まないといけないのか、2つの感情が同居している。でも、雇用の条件や置かれた状況によって自分の力を活かせなかったり、成長の場面を阻害されるのは本質的に何かがおかしいと思う。私たちは自己研鑽を重ねないと先がない。常勤職員とは似て非なる。このまま正面突破で戦い続けるのは、なかなかしんどい。1年経っても、URAという得体の知れない存在は扱いにくい物なのかもしれない。

 

もっと冷静な大人になる必要がある。でも、信念は貫きたい。現在高専URA在籍期間記録を更新中(1年2ヶ月)である。