「つくる」と「つかう」の考え方

あるものをつかって、足りなければつくって。まちのつかいこなし方の考え方。

URAとして1年

長かったか短かったかURAとして働きだして1年が経ちました。ひとまず思う事や、今後の事を振り返りの意味を込めて書いておきます。

■URAの仕事

なにもわからないまま始めたこの仕事ですが、なかなかおもしろいと思ってやっています。特に仕事の内容が明確に決まっている訳ではなく、先生と議論したり、自ら決める部分が多いです。「先生でもなければ事務職員でもない」という立ち位置は言い換えれば「なんでも屋」な訳で、なんでも頼まれます。特に、私がたまたまPhotoshopIllustratorなどドローイングソフトを使えるため、絵を描くことを求めらる場面がいくつかありました。あと主にやっていたのは、人と人をつなぐこと。地域にはたくさんの面白い状況やキャラクターがいて、少し結ぶだけで小さなハッピーが連鎖する事があります。学内、学外関係なく「ボタンの掛け違い」が至る所にあるのがよくわかりました。

ミッションなんて大それた事はなくて、日々目の前の敵を倒していく状況は、今も変わらずです。

■孤軍奮闘のURA

現在明石高専のURAは実質私だけです。他の高専にもいないので、高専唯一のURAと言えます。「誰がやるかよくわからない仕事」はたいてい「なんでも屋」に回ってきます。最近はそのうち人が着くからそれまでお願い、と暫定的にやっている仕事の方が多く、本質を見失っています。これからの1年に向けてもう一度モチベーションを上げる何かが必要です。

先日URAシンポジウムという、全国のURAが集まる場に行きました。もちろん高専からは唯一。他の大学はURAが組織的に動いており、うらやましい事だらけでした。特に彼らには日常的に意見を共有したり、自分たちのシゴトについて議論する同じ立場の人間がいる事が、非常にうらやましかった。正直この不安定な立場の悩みや考えを相談できる人はいません。いまのところ明石高専ではどう動こうとも事務組織の一員です。そこを抜け出さないと先はないなと思っています。

URAになって1ヶ月程してから上司に「他の大学にならってURA室をつくってほしい」とお願いした事があります。答えは「うちの予算、体制では無理」でした。これからURAが増えていく流れがあり、そのとき本当に事務組織の一部で良いのか、もう一度議論すべきではと思っています。もし「URAは事務の一員で良い」という判断が下れば、明石高専ではURAは育たない(育てる気がない)のかなと思います。どうか使い捨てURAを産まないようにしてほしいです。

 

■土俵と武器と弾がない

私の場合、大学院D2のときに逃げるように明石に戻っています。修士のバッチはもらえたものの、自分の専門(武器)がないなと痛感する事が多いです。特に先生方と話していると、自分の土俵に話を持ち込みたくても土俵すらない状態です。 武器は自ら取得しなければならないと思っています。自分を観察すると、小手先では少々の技術があるけれど、メインになる武器がない事が精神的なネックになってるなーと少し気にしています。

 

とまぁ、1年経った今は反省>充実感といった感じで、なにかに突き進める次のモチベーションをはやく見つけないとなと思っています。そんな事をたまたま先輩に相談すると、「あなたは常に複数のコミュニティに顔を出していなさい」と至極的確なアドバイスをもらいました。最近は「学校」と言う閉塞された小さな社会に閉じこもっていたなと反省しています。

やはり自分が楽しいと思えるのは地域と関わっている事です。ここ数ヶ月でシゴトの内容が大きく変わり、学内の調整や文科省対応が増えています。徐々に自分の視野が学外から学内に向いており、いつまでそれが続けられるか不安な面もありますが、どこを向いていても良いクリエイティビティを発揮できればと思っています。